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鹿児島地方裁判所 昭和55年(ワ)318号 判決 1981年4月17日

昭和五〇年(ワ)第一九三号、昭和五五年(ワ)第三一七号(甲事件)

原告・反訴被告 黒岩キクエ ほか四名

被告・反訴原告 指宿市

昭和五五年(ワ)第三一八号(乙事件)

原告 国

代理人 竹之内正至 江口行雄 浜屋和宏 祐名三佐男 ほか七名

被告 黒岩キクエ ほか四名

主文

(甲事件本訴につき)

1  原告らの本訴請求をいずれも棄却する。

(甲事件反訴につき)

2 反訴原告が別紙物件目録(一)ないし(六)記載の各土地について所有権を有することを確認する。

3 反訴原告の主位的登記手続請求をいずれも棄却する。

4 反訴被告らは反訴原告に対し、別紙物件目録(一)ないし(六)記載の各土地について、昭和三〇年三月一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

(乙事件につき)

5 原告が別紙物件目録(七)記載の土地について所有権を有することを確認する。

6 原告の主位的登記手続請求をいずれも棄却する。

7 被告らは原告に対し、別紙物件目録(七)記載の土地について、昭和一七年三月二五日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

(両事件につき)

8 訴訟費用は、すべて甲事件原告兼反訴被告・乙事件被告らの負担とする。

第一争いのない事実

一  本件各土地の従前の所有者

黒岩信義(以下「信義」という)は別紙物件目録(一)ないし(七)記載の各土地(以下「本件土地」という)を所有していた。

二  相続関係

信義は昭和三九年一〇月四日死亡し、妻である甲事件本訴原告兼反訴被告・乙事件被告(以下「甲事件原告」という)黒岩キクエが相続分三分の一、その余の甲事件原告ら四名が相続分各六分の一の割合で同人の地位を承継した。

三  占有の継続

1 甲事件本訴被告兼反訴原告(以下「被告市」という)は遅くとも昭和三〇年三月一日以降、別紙物件目録(一)ないし(六)記載の各土地(以下、同目録記載の土地は番号のみで引用する)を占有している。

2 乙事件原告(以下「原告国」という)は昭和一七年三月二五日以降、(七)の土地を占有している。

四  取得時効の援用

被告市と原告国は本件の口頭弁論において、各占有土地につき取得時効を援用した。

五  被告市による課税

被告市は本件各土地につき、昭和四〇年度から昭和四九年度まで、納税義務者を信義として固定資産税を賦課した。

第二争点

一  原告国・被告市の事実主張

1 原告国による買収

原告国(佐世保海軍施設部所管)は昭和一七年三月二五日、本件各土地を信義から買い受けた。

2 被告市による一部転得

被告市は昭和三〇年一月二八日、右のうち(一)ないし(六)の各土地を原告国から買い受けた。

3 被告市及び原告国の無過失

被告市及び原告国は、争いのない事実三記載の各占有を開始するに際し、いずれも無過失であつた。

二  甲事件原告らの法律上の主張

争いのない事実五記載の課税により、被告市は(一)ないし(六)記載の各土地が甲事件原告らの所有であることを承認したこととなり、被告市主張の取得時効はその都度、中断したものである。

三  右法律上の主張に対する被告市の反論

右課税処分は地方税法三四三条二項に定める台帳課税主義に基づくものであつて、被告市が信義または甲事件原告らを所有権者として承認したものではない。

第三当事者の求める救済

一  甲事件原告ら

「(一)ないし(六)の各土地につき、甲事件原告キクエが三分の一、その余の甲事件原告らが各六分の一の共有持分をそれぞれ有することを確認する。」との判決。

二  甲事件反訴原告(被告市)

1 所有権確認請求

主文2項と同旨

2 主位的登記手続請求

「反訴被告らは国に対し、(一)ないし(六)の各土地について昭和一七年三月二五日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。」(登記請求権の代位行使)

3 予備的登記手続請求

主文4項と同旨。

三  乙事件原告(原告国)

1 所有権確認請求

主文5項と同旨。

2 主位的登記手続請求

「被告らは原告に対し、(七)の土地について昭和一七年三月二五日売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。」

3 予備的登記手続請求

主文7項と同旨。

第四証拠 <略>

第五争点に対する判断

一  原告国による買収の有無(争点一の1)

1 積極事実(右買収を認めるについての)

<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められ、右認定に副わない原告キクエ本人の供述の一部は採用しない。

(一) 旧海軍は昭和一七年三月、現指宿市の田良地区に飛行場を建設することに決定し、同月二五日、佐世保海軍施設部係官(佐官)が住民らを柳田小学校に集めて買収に応じ、他に移転するよう求めたところ、時代の要請もあり、異議を唱える住民はいなかつた。間もなく同施設部の技官が土地・建物、樹木、墓石等の評価をなし、買収金額が決定され、代金額は昭和一九年一〇月ころまでに二回にわたり、支払われた。田良地区の住民らは昭和一七年六月ころまでの短期間内に、すべて他の地区へ転出した。

(二) 黒岩甚次郎(信義はその三男である)所有名義の土地について次のような記録が現存している。

佐世保海軍施設部作成の「購買要求票」(<証拠略>)には、他の所有者多数とともに、甚次郎所有の次の土地とその代価が順次記載され、その上部に朱色の<済>印が押捺されている。

(六)の土地  七二円〇〇銭

(五)の土地  三三円六〇銭

(四)の土地  九〇円〇〇銭

(八)の土地  八四円〇〇銭

(七)の土地  九七円二〇銭

(一)の土地  六九円六〇銭

(二)の土地 一五三円六〇銭

(九)の土地 三〇八円〇〇銭

同軍経理部作成と推認される昭和一九年一〇月一三日付「臨時軍事費現金支出伝票」(<証拠略>)には「黒岩甚次郎以下四名」の残金支払のため五二四円二〇銭が計上されている。

同軍経理部作成と推認される「送金先調書」(<証拠略>)には他の所有者と共に黒岩甚次郎宛の残金として二二九円が記載されている。

同軍経理部作成の昭和一九年一〇月一三日付「領収証」の控(<証拠略>)には黒岩甚次郎を領収者として右残金二二九円の領収記載があり、その内訳は次のとおりである。

(六)の土地 一八円〇〇銭

(五)の土地 三八円六〇銭

(四)の土地 二三円〇〇銭

(八)の土地 二一円〇〇銭

(七)の土地 二五円二〇銭

(一)の土地 一七円六〇銭

(二)の土地 三八円六〇銭

(九)の土地 七七円〇〇銭

同軍経理部作成の同年同月二五日付「領収証」の控(<証拠略>)には黒岩甚次郎を領収者として四八三円の領収記載があり、売買物件として、(一〇)及び(一一)の各土地が記載されている。

右各領収証控に捺印はなく、その原本は会計検査院へ一括して送られたため、現存していない。

(三) (三)の土地に関する買収書類は現存していないが、他の本件各土地と同様、海軍飛行場用地となつた。そして同土地を取囲む、同所字岩の下一〇四三五番、一〇四四四一番イ、一〇四四二番、一〇四四一番ハの各土地及びその周辺土地については「昭和拾七年参月弐拾五日ノ売買」を原因とする所有権移転登記手続が昭和一九年内に経由されている。

(四) 前記の「購買要求票」に記載されていない(一〇)及び(一一)について、「昭和拾七年参月弐拾五日ノ売買」を原因とする所有権移転登記手続が昭和一九年九月九日受付をもつて経由されている。

(五) 軍人として、内地または少なくとも鹿児島県内にはいなかつた信義は昭和一八年に一か月位休暇で帰省し、その際、同人の家、屋敷が有償で接収され、本件各土地が飛行場に変じたことを認識していたのに、右各土地の買収の有無につき調査したり問合せた形跡が全くない。また妻である甲事件原告キクエはこれより先、信義に手紙で軍から支払われる代金で家が新築される旨知らせている。

(六) なお(九)の土地については昭和二三年九月一〇日、黒岩甚次郎から黒岩典雄への家督相続(昭和一一年九月一八日付)に基づく所有権移転の代位登記とともに、「昭和拾七年参月弐拾五日ノ買収」を原因とする所有権移転登記手続が経由されている。

2 右消極事実

<証拠略>によれば、以下の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。

(一) 信義は、前記のとおり、本件各土地周辺の買収及び代金支払当時、少なくとも鹿児島県内には居住しておらず、同人は昭和一八年に一か月位帰省しただけであつた。その妻である甲事件原告キクエは当時、現指宿市柳田地区の実家で暮していた。信義の家、屋敷は右買収時まで、同人の姉である中村チナミとその夫彦次の管理に委ねられていた。小作地であつた本件各土地も右と同様、買収時まで中村夫婦の管理に委ねられていた。

(二) 信義は昭和二一年に復員し、昭和二七年ころまでは本件各土地についての権利主張をしていなかつた。しかし同人は同年ころから昭和三一年までの間、他の数名と共にしきりと鹿児島地方法務局や南九州財務局鹿児島財務部等に、本件各土地等の所有権を主張し、善処方を要望した。その結果、同人は外三名の者と共に飛行場跡の雑種地五反七畝について同財務部から六か月の期間、有償貸付を受けることとなり、信義の死亡した一、二年後まで右貸付が更新されていた。

(三) なお昭和二七年に指宿簡易裁判所において国を申立人、松田甚四郎を相手方として同裁判所同年(ノ)第三〇号土地所有権移転登記手続請求調停事件が申し立てられたが、右松田は調停において、海軍による自己所有土地が買収された事実を争つた。しかし、同人は同年一一月二四日調停条項として、海軍による買収を認めたうえ、有償払下げを受け、昭和一七年から二七年までの間の税金の返還請求をしないこと等の不利な条件を受諾した。

3 総合判断

右に認定した積極・消極両事実を総合して考察するに、右積極事実によれば、原告国が本件各土地について買収代金を何者かに支払つたものと推認され、信義が昭和二七年ころまで表立つた抗議をしていない等、被告市及び原告国にかなり有利な事実が見受けられる。これに日本国の敗戦及び長い年月の経過により証拠が散逸していることを併せ考えると、原告国による買収を認定する余地が全くないとはいえない。しかし他方、右消極事実及び前記のとおり、甚次郎所有名義の(九)ないし(一一)の各土地について国に対する所有権移転登記がなされていることに鑑みれば、本件各土地について、同様の登記手続が経由されなかつたことについて首肯できる理由が見出せず、また、代金受領者に対して信義からの授権があつたのかどうかの点についても疑問が残る。結局、総合的には適法な買収事実の存否が不明であるとする外はない。

二  時効中断の成否(争点二及び三)

甲事件原告らは、争いのない事実五記載の固定資産税の賦課により、被告市が右各土地につき同原告らの所有権を承認したと主張する(争点二)。しかし固定資産税は地方税法三四三条二項に定める台帳課税主義により、真の所有者が誰であるかについて判定することを要せずに、不動産登記簿等に現われた所有名義人に対し機械的に賦課されるものである。これは徴税行政上の便宜から訴訟等の複雑な判定手続を全く不要とする立法技術であつて、もとより市町村長の側から特別の事情がある場合に減免することを妨げないものである。従つて被告市の反論するとおり(争点三)、同税の賦課事実のみでは時効中断事由たる承認を構成しないと解するのが相当である。

第六結論

一  取得時効の成立

争いのない事実三の1記載の被告市による、及び同三の2記載の原告国による、各土地の占有継続事実に民法一八六条一項、一六二条一項を適用すれば、被告市の(一)ないし(六)の各土地についての昭和三〇年三月一日、及び原告国の(七)の土地についての昭和一七年三月二五日を始期とし、二〇年の経過による取得時効の成立が、肯定される(争点一の3については判断するまでもない)。

二  申立に対する結論

以上の事実及び法律判断によれば、当事者の本件各請求に対する結論は次のとおりとなる。

1 甲事件原告らの本訴請求は、被告市の取得時効により、いずれも理由がない。

2 被告市の所有権確認反訴請求は、その取得時効により、いずれも正当である。

3 被告市の主位的登記手続請求は、争点一の2について判断するまでもなく、被代位請求権の証明を欠き、いずれも理由がない。

4 被告市の予備的登記手続請求は右2と同様、いずれも正当である。

5 原告国の所有権確認請求は、その取得時効により、いずれも正当である。

6 原告国の主位的登記手続請求は、請求権の証明を欠き、いずれも理由がない。

7 原告国の予備的登記手続請求は右5と同様、いずれも正当である。

三  訴訟費用等

よつて訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、九三条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 猪瀬俊雄 太田幸夫 小林秀和)

(別紙)

物件目録

(一) 指宿市東方字湯ノ西八九二九番

雑種地(登記簿上の地目 畑)一九一平方メートル

(二) 同所 同字   八九七五番

同右            四二九平方メートル

(三) 同所 字岩ノ下一〇四四一番ロ

同右            一九一平方メートル

(四) 同所 同字  一〇四一一番ニ

同右            二五一平方メートル

(五) 同所 字田良湯ノ畑一〇三三八番

同右             九二平方メートル

(六) 同所 字下西通一二〇五八番イ

同右            一九八平方メートル

(七) 同所 字本村ノ下八八八六番ヘ

学校用地(登記簿上の地目 畑)二六七平方メートル

*  *  *

(八) 同所 字岩ノ下一〇四四七番

畑            二畝一〇歩

(九) 同所 字下南通一二一一三番

宅地           二畝二八歩

(一〇)同所 同字  一二一〇四番一

畑            一畝二七歩

(一一)同所 同字  一二一一二番

畑            二畝二一歩

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